行ってきます

 
loveさんトコまでひとっ走り。


ついでにハスラーを見せびらかしに(笑
なので今回NBはお休みです。

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屋根の上の聖人

  
駐車場から出ようとしたら、近隣の屋根の上にモフっとした何かが。


恐らくアオサギかなぁ… と思うのですが。
ゴイサギにも見えるんですよね。



アップにしたら、うん。アオサギだワ。

なんか神々しいというか、超然と佇んでますよね。
民家の屋根に留まってるってのは珍しいなぁ…


写『真』 ~などという言葉は大嘘と勘違いな件 最終話

※このハナシは極めて独善的な意見なのでコメ無しで。

長々と続けて来ましたが、結論から言えば「写真なんてモノはただの幻想」
て事です。趣味で写真(面倒なんでもう、あえて写真て表記しますが)撮って
いる方に多いのが「撮って出し」であるかどうかにやたら拘る面々。
ワタシなんかに言わせれば、自己満足の為に撮ってる写真なんだから、
画面の中に気に入らないモノが入り込んでいたら消せばいいし、明るさや
色の濃さなんか、どんどん加工したらいい。それは自由だと思います。

それを言うと半可通が「いや、フィルムの頃は一発勝負だった」とか言い出し
ますが、いやいや… あなたがそう思ってるだけで、フィルムの頃から多少の
加工は当たり前だったんですよ? 素人の写真ひとつ取っても、フィルムを
街の写真屋さんが濃度や色を調整して焼いてくれたり、はたまた、カメラの
レンズやフィルターでで細く見えたり、部分的にだけ色を付けたりね。


我々プロは更に一歩進んで、フィルムを加工したり写真に書き足したり、
逆に邪魔なものを消したりね。多重で露光したり、フィルムを重ねたり。
自分で暗室作業なんか出来て当たり前。
画像加工ソフトの各種ツールが暗室作業用語なのも、感覚的に解りやすい
だろうと流れを引き継いだだけの事。何の事は無い、デジタルになっても
銀塩時代とやってる作業は変わらない。
ただ、より間口が広く作業のロスが少なく成果が正確になっただけの事だ。

そもそもデジタルは、撮像素子から作画回路を通ってデータ化されている
ワケで、排出された絵は決して「見たままのソレ」では無い。
JPEGは勿論、生データと言われるRAWですら描写エンジンによって何らか
の味付けを既に施されている。まあ、後処理が面倒だからとか、後処理する
技術が無いのでカッコつけで「写『真』なんだから弄るな」って言ってる
方々は論外だが、何となく「写『真』」と言う言葉から来る罪悪感から、
弄るのを躊躇っている方々は、今後、正々堂々と加工してドンドン良い絵を
生み出して行って欲しい。

他人のインスタなんかを見て「盛ってるよね~」とか、冗談で言ってる分
には良いが、心の底から無加工かどうかだけに囚われているなら、下らない
呪縛から早く開放される事を切に願う。


写真では無く、光で描く絵=photograph 
デジタルな時代だからこそ、戦前のこの考えがもっと見直されて欲しい。

写『真』 ~などという言葉は大嘘と勘違いな件 その3

※このハナシは極めて独善的な意見なのでコメ無しで。

突然ですが、ワタシは「報道カメラマン」とか「風景(に類する)写真家」を、
同業者としては認めていない。いや、差別しているワケじゃなくね。
前者は「記者」だし、後者は「作家」だと思います。
例えばF1ドライバーとタクシードライバー。配送業者のドライバー各位。
社長のお付き運転手。全部ドライバーって括りだけど、それぞれ皆、同業
だとは思っていないと思います。

もっと解りにくいのが「デザイナー」ね。
ファッション・インテリア・グラフィック・工業・建築・パッケージ~ それぞれ
後ろにデザイナーて付くけど別物ですよね。そんな感じです。
 
 
で、カメラマン。

もう何でもカメラマンで括られちゃうから、一般の人にカメラマンだと知られると
「じゃあピューリッツァー賞とか目指してるんですか?」とか、「アイドルに会ったり
しますか?」とか、返答するのが面倒臭い話題を振ってくる。
タクシーの運ちゃんに「今度のモナコGPで優勝狙ってますか?」街の整備士に
「どのF1マシンを整備してましたか?」「セナに会いましたか?」て聞くに等しい
セリフなんですが… こんな時は苦笑いしながらお茶を濁すしか無い。


話を戻します。

で、我々商業写真師の世界は「顧客が望む結果を与えなければならない」ので、
最終的に画像が出来上がった時の事まで考えた撮影をするワケです。
具体的には、敢えて暗めに撮って仕上げ時に明るくする(撮りで詰めすぎると、
ハイライト部のデータが消し飛ぶ事がよくあるので)とか、映り込みの部分を
合成前提で撮る(鏡面仕上げの物体や、文字通りの鏡を正面から撮る場合等)
とかね。合成上等! 修正上等! キレイに仕上げてナンボてなモンです。

それに対して「いや『写真』なんだから、真実を写さなきゃダメだろ」的な物言い
をする半可通な面々が一定数居るわけで…
困った事に、こういう商売してると結構出くわします。
そういうのは報道のカメラマンに言ってくれる? あの人達はそりゃ捏造ありき
ではダメだろうからさ。我々のは造り上げるのが仕事なのでね。
勿論事実と異なってるのがダメな部分はやりませんよ? それ以外の部分ね。



~つづく

写『真』 ~などという言葉は大嘘と勘違いな件 その2

※このハナシは極めて独善的な意見なのでコメ無しで。

まだ感光材料等が発明される以前から、海外の先鋭的な画家は
ピンホールを通して暗い部屋の壁に外の景色が描写される現象を
利用して、風景を正確にトレースする事をしており、カメラ・オブ
スクラという暗箱を利用して、それを簡易に再現したりもしていた。


それに感光剤を使い化学的に画像が定着できる様になると、
それによって得られる絵は「photograph」と呼ばれる様になる。

原点はあくまでも写実的に描かれる「絵」なのである。
確かに化学的に定着できる様になり、より正確にはなったが、
記録的な使用例は、あくまでも副産物的なモノであり、基本は
あくまでも光で描く絵画。その原点だけは忘れてはならない。



~つづく



写『真』 ~などという言葉は大嘘と勘違いな件 その1

※このハナシは極めて独善的な意見なのでコメ無しで。


さて、ハナシは遡ること江戸時代。
ベアトやロシエによってもたらされた「Photograph」という革新。
見て主観を挟み描く「絵画」とは違い、正に見た物をそのまま切り取る
に等しいソレは「写真」と訳されて然るべき物だったのだろうと思う。


しかし、元々の意味で言えば「photo」はギリシャ語の 「phos」から
語源を発し、「光」の意味なのです。英語では「light」でも「光」ですが
「photo」でも光なのです。物理で習ったと思いますが、光子をフォトンて
言いますよね? で「graph」は「図」だったり「絵」だったり、「~を描いた
もの」的な意味合いになります。

つまり「photograph」は本来、「光で描いた絵」と言う意味合いで使うべき
モノだと言う事。コレ大事。

「リトグラフ (lithograph)」は「石版画」 、さしずめ「photograph」は、
本来「光画」とでも呼ばれるべき存在でした。実際、その様な動きが
近代の写真史において存在したし、雑誌や団体なども発足したが、
結局理解されずに頓挫した。何故か? 既に「写真」という言葉と
実用品(一部の趣味的な側面は認めつつも)としての存在が広まって
しまい、一般大衆には「絵画等の芸術と同じ存在」とは理解しえない程
深く刷り込まれてしまったからだ。

「写真」=真実を写す  と言う字面の功罪はコレで、日本における
「photograph」は、単なる「記録」という存在に成り下がってしまった。
だから写真に対して必要以上に『加工されているか否か』に執着する人が
多数存在するワケである。


~つづく

プロフィール

slowbeat

Author:slowbeat
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    たまに社会派(笑

ボケ防止対策で、なるべく文章を
書こうと思い、日記帳替わりに
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